無条件の愛情について

ふと気になる記事を見つけたので個人的な意見を書きたい。

 

www.rieti.go.jp

 

なぜ自分を愛することと感情を感じることが同義なのか

自分を愛することと感情を感じることがなぜ同義なのかについて、2人の著作を読んでの私の理解は次のとおりである。誰しも幼かった頃に他者(特に親)から無条件に愛されようとして愛されなかったトラウマ的な経験を持っていて、その時に感じた怒りや悲しみや恐怖といった感情は、本人が意識的には覚えていなくても、自分の中に記憶されたままになっている。大人になった自分が感じる怒りや悲しみや恐怖は、子供の頃に愛されなかった自分が表面化したものであり、子供の自分の比喩である。あらゆる感情を無条件に感じることは子供の自分を完全に受け入れることと同じである。

前回の記事で「幼い頃にありのままの存在を認めてもらえなかったから」と書いたが、具体的に言い換えると親が子供の感情を理解しなかったということだろう。

 

donbeitabetai.hatenablog.com

 

ではなぜ親は子供の気持ちを理解しなかった

のだろう。

 

それは親も同じく、幼い頃に感情を理解してもらえなかったからだ。

 

その根本には子供の怒りや悲しみや恐怖を抑圧するという親の過失がある。

 

それは親が自分自身の怒り、悲しみ、恐怖を抑圧するのと同義だ。

 

感情を理解してもらえないことが続くと子供は感情を押し殺すことがクセになり、それが成長するにつれて以下のような悪影響に繋がると思っている。

■感情を押し殺すことがアイデンティティに組み込まれる

■自分のしたいことがわからない、相手と共感が出来ない

■押し殺された感情を抑えるために、周りを否定する

 

親に感情を押し殺してるときだけ愛されたので、生きるために感情を押し殺してしまう。

誰しも感情を抑えるときはあるだろうけど度が過ぎているのだろう。0である。

 

感情がない人は共感が出来ないので感情がない人としか関わることが出来ない。

好きなもの、嫌いなものがわからない人と関わるすべはない。

共感によって満たされるものが満たされない

 

自分の感情がないのでやりたいことがわからず(アイデンティティが不安定)「世間で価値があると言われているもの」で満たされようとする。

場合によっては「家族」という価値観に従って結婚をする。

 

そして子供が出来ると自分の押し殺された感情が子供の感情を否定するのだ。

自分の存在を肯定するために。

 

前回の記事で書いた「プライドが高い」の項目も似たような特性だと思う。

 

じゃあこれらを踏まえてどうすればよいか。

 

やはり自分の感情に気づいて認めることだと思う。

「ある人と仲良くなりたいならちゃんとアプローチする」、「行きたい場所があるなら行く」

傷つくことを恐れずにやりたいことをやればよい。

 

そしてやりたいことをやるには相応の努力が必要ということなんだろう。

 

自分の感情を認めて「今を生きる」努力をしていないと周りを否定したり、過去を恨んだり、あるはずもない未来の妄想に取り憑かれてしまうんだろな。

 

無条件の愛情≒今の感情を認める≒今を受け入れるだと思っている。

 

無条件の愛情とは誰しもが持ってる「自分の感情」のことを言ってるのかもしれない。

もっと言うと"他人と共感出来る感情"に人としての最低限の価値があるのかも。

 

前々回の記事に書いた通り、自分の場合は"色んな文章から自己分析を行って今を受け入れた感覚"が無条件の愛情の代わりになってる感じがある。

donbeitabetai.hatenablog.com

 

感情は未だに不透明なんだけど理性的には理解出来てるというか。

 

焼きたてジャぱんの太陽の手と太陽のガントレットみたいだね。