ADHD、アダルトチルドレン、愛着障害、鬱で苦しんだ末に見つけ出した回答(完)

記事の要約

表題のことでずっと生きづらかったけどなんとなく前に進めるようになってきたので最後に整理するための記事

前回の記事がかなり回りくどい書き方をしているのでこの記事は主観的に書きたい。

■前回の記事
donbeitabetai.hatenablog.com

現状を一言で言うと「幼い頃に無条件の愛情を体験していない」ことからくる欠乏感、寂しさ、甘さを捨てて「周りからの要求に答えること」と「自分のしたいこと」のバランスを取りながら一生懸命取り組んでいる。
まぁしっかりした大人は皆やっていることである。

結局なんで生きづらかったのか

⇒幼い頃にありのままの存在を認めてもらえなかったから

ここでいうありのままの存在を認めてもらえないとは、相手の要望通りにならないと攻撃的な反応が返ってくるといった意味である。

「無条件の愛情がもらえなかった」、「愛情に条件がつけられる」とも言いかえられる。

思い返すと親の顔色ばかり伺ってたような気がする。

何故なら父親は自分の思い通りにいかないと不機嫌になって無言になったり母親はヒステリックになって罵倒してきたりしたから。

ずっと気を使ってたしビクビクしてた。

小さい頃に親から嫌われるなんて子供にしたら死に直結する話で「親の要求(≒周りの要求)に答えられない=死」が無意識に刷り込まれてしまったんだと思う。
majikuzu.doorblog.jp

その意識がずっと残っていて親以外の人と関わるときも「周りの要求に答えられないと気持ちがしんどくなる」、「自分のしたいことが素直に伝えられない」、みたいな精神的な不安定さに繋がってたんじゃないかな。

正直、今でも周りから否定的なことを言われたときには吐き気を感じるほど凹むけど昔に比べたら立ち直りは早くなっている。

これは前回の記事でも書いたように、色々勉強したことで「条件をつけなくても別に生きていい」という考えが生まれたからだと思う。

この考えが幼い頃にもらえなかった「無条件の愛情」の代わりに傷ついたときの支えになってる感じがする。

親からの悪影響

無条件の愛情を受けていないことからの欠乏感

無条件の愛情を受けていないデメリットは「自分の存在に条件をつけてしまう」だけではない感じがしている。

「親から認めてもらえなかった欠乏感を他の人からもらおう」としてしまうのだ。

それが時に「傲慢で自己中心的な行動」に繋がったり、「大したことのない相手の我儘が無性にストレス」に感じてしまうのだ。

感覚的には""急に自分の思い通りにならないことに耐えられなくなる""といった感じ。

当たり前のことだけど他人は昔のことなんか知ったこっちゃないので「気持ちの悪い人」と思ってるんだと思う。

「他人は基本的に与えなければ何も与えてくれない」という前提が抜けているのだ。

欠乏感への対処法は、その前提を知った上で相手に配慮した行動を取ることだと思う。

理不尽なことだが無条件の愛情は、本当に何も出来ない小さい頃に母親からもらえるもので、その期間が過ぎると基本的にはもう誰からももらえないのだ。

だからそこから生まれる欠乏感、寂しさ、甘さは諦めたほうが健全だし、自分の能力成長にも繋がる。

何もしていないのに認めてほしいと求める感情は邪魔でしかない。

主体性が損なわれてしまう

自分の親は傍から見たら良い親だと思う。

食事も毎食作ってもらってたし旅行にもよく連れて行ってもらった。

でもそういった愛情はあくまで親がやりたいことという偏りがあった。

友達とご飯を食べに行くといったらあからさまに不機嫌な態度を取られ、旅行も自分が行きたかった工作教室やゲームの大会には行けず、親の行きたいところについて行くといった感じだった。

幼い頃に「親のいうことを聞くなら甘えられる状態」が続いたことでどんどん主体性がなくなり、その分他力本願な人間になっていったように感じる。

宿題は他の人に答えを見せてもらい、与えられたタスクからは逃げる、こうした細かいことが人生レベルで積み重なり、スキルの低い自信がない人間になってしまう。

まぁ自分の場合は時々逃げずに頑張ったから首の皮一枚繋がっている感はある。

プライドが高い

ここでいうプライドが高いというのは自分が優れていると誇示してしまうといった意味である。

スキルの低い自信がない人間がプライドが高いというのは矛盾しているように感じるが、自分の場合は寧ろ「自信がないから自己防衛の(自分の存在価値を守る)ためにプライドが高くなる」といったものだった。

このような人間が陥りがちなことが「自分は何もしていない、出来ないのに誰かを馬鹿にして仮想の優越感に浸ってしまう」ことだ。

似た例を出すならTwitterで全方位に攻撃的な人、有名人の不祥事に過剰に攻撃的な人みたいなイメージだ。

その馬鹿にするにも主体的な意見、建設的な指摘があれば良いがそういったこともないことが多い。

何故なら自分が出来ないことを馬鹿にして優越感が得られれば良いので別に内容は意味をなさないからだ。

このデメリットは自分が馬鹿にしたことが自分自身で出来なくなること。

「ハロウィンで仮装するなんて流行に流されているようでダサい」、「大人になって趣味がゲームだけなんてキモい」

そうやって馬鹿にするものが増えて息苦しくなって何も出来ない人になってしまう。

親にもそういった部分があった。

大学に行くと伝えたときにはお前なんかが行かなくて良いと言われたし、経済の勉強をしてるときにもそれなんの意味があるのと貶めてきた。

前回の記事でも書いたが、

親がやりたくても"我慢"せざるを得なかったことを子供にも強要して一緒に不幸になろうとしたと自分は考えている。

意味のない貶めに迎合しては駄目なのだ。相手せずに心の中で中指を立てないといけない。

親について

親には今までずっと気を使って辛かったこと、正直もう関わりたい気持ちがなくなってしまったことを伝えた。そうすると母親は愛情の注ぎ方が少し間違っていたのかもしれないと言った。

父親とはしっかり話せていない。中学生以降まともに会話したことがないのでどう話をしたらよいかわからないのと、漠然とした父親への怖さがあり深くは伝えられていない。前に一度辛かったと打ち明けたときは「そういうもんだ、俺も幼い頃辛かった」と言っていた。

そのあと初めて聞かされたが父親も幼少期の家庭環境が複雑で、母親も親からあまり褒められたことがないそうだ。

また祖父母も幼少期に苦労していたそうでなんか凄く人生を感じた。

しかし話は結局のところ「親の性格だから仕方がない」、「歳を重ねれば慣れてくる」、「占いによると30代から運気が来る(??)」とはぐらかされる感じで締めくくられ少しイライラして終わった。

気持ち的にはまだ消化しきれていないが客観的に思ったことは「親も幼少期に理不尽な目にあってそのことを引きずっている」んじゃないかってことだ。

自分が感じていた生きづらさを親も感じていて、その中で一生懸命生きてきたのだ。

そう考えると自分としては""親にもっと自分の話を理解して欲しかった""とか""察して感というか受け身のコミュニケーションは親としてどうなの""と思うところはあるが、衣食住は与えてくれたので親としては出来る限りのことはしてくれたのかもしれない。

そのことに関しては感謝している。

精神的に未熟なままで結婚し、子供への配慮が足りていなかった。と結論づけた。

酵母マンさんの言葉でいうと、毒親まではいかないけど塩親だった。

note.com

そんなことがあり、今の親に対する思いは「関わりたいとは思わないけど、もし経済的に困っていたら援助する」である。

話を聞く限り親も未だに幼少期のトラウマを引きずっているようにも感じるが、精神的な面倒までは見ない。

最後に

ここまで親のことを散々言ってきたが、最近は自分の人生の上手くいかない部分を親のせいにしても仕方がないと感じている。

過去の数々のトラウマの根源は親との関係によるものだけど、そのトラウマたちは紛れもない過去の自分が引き起こしたことで根源の理不尽さも含めてそれらを受けれた方が良いなと思えてきた。

個人的にはトラウマって受け入れても受け入れなくてもどっちでも良いと思っている。

人によってトラウマの度合、加害と被害の分量は違うし、無理に掘り返すことが精神的に良くない人だっていると思う。

自分の場合はトラウマを受け入れたほうが良いと思ったので、前回の記事で紹介した感情ノートで過去のトラウマを整理したり(今はしてないけど)、トラウマがフラッシュバックしたときは逆に思い出してあげるようにしている。

この「逆に思い出してあげる」という方法はある質問箱を見て最近気づいたことで、どうしても思い出してしまうならそれを受け入れてあげようというもの。

そうするとフラッシュバックすることも気にならなくなってきた。

先日のツイッターの使い方に対するご回答に感銘を受けました。 | Peing -質問箱-


このトラウマを受け入れていくメリットはトラウマの対処に使っていたエネルギーを他のことに使えることだ。

これは自分の感覚でしかないんだけど過去に抑圧された欲望(トラウマ)を受け入れるというかある種諦めることでそこに使っていたエネルギーが浮く感覚だ。

心理学のキーワード的には自我とかESとかが関連してくるんだろうけどよくわからない。とりあえずそういうことだ。

体的にも疲れにくくなった気もする。

この受け入れる考え方は他のことにも使える。

例えば自分の生きづらさはADHDとかASDHSP発達障害といったラベリングが出来るが、これはある意味自分の特性を否定していることで、否定せずにこの特性を前提として生活を考えると良いエネルギーの使い方が出来る。

例えばADHDでいうと過集中は上手く使うと作業がすぐ終わったり、ASDは一人の時間が沢山出来るとかHSPは気遣いが出来るようになるとかである。

昔はこうしたラベリングが気になっていたけど、特性を理解すれば特に生活に支障がなく必要がないなと思っている。

特に最近は社会情勢も悪くなってきたので基本的にラベリングで援助を受ける考え方は期待が出来ず、デメリットが多いように感じる。


今後についてだが前回の記事でも書いたように引き続き"「役に立たなくても生きていい」の感覚を持って社会的スキルを磨き、経済的自立を続けようと思う"

ただ一点前回の記事で間違っているなと思うところがあって、人間関係はどうやっても避けられないし最低限の気遣いは必要だなと思っている。

話していて相手を不安にさせないくらいの気遣いはしたいって思えてきた。

ユングの考え方でいうとペルソナを発達させるとかになるのかな。

あと主体的な部分でいうと音楽は引き続き作りたいと思っている。

今は別アカで作ってるけど曲に反応があるとやっぱり凄い嬉しい。

追記:これは主体性ではなく趣味だね。主体性とは求められることを選ぶこと。

今後もこの「周りからの要求に答えること」と「自分のしたいこと」のバランスを取りながら頑張りたい。

最後にまとめきれなかった雑記を貼り付ける

PS この本良かったよ

雑記

 家族という自我欲望のために過保護をした
  昔過保護になり家族に奉仕しないと存在を認められなかったからそれに従わないと存在不安になる。だから自分も過保護をしてしまった
 子供の主体性、能力が低くなり自我欲望が家族、お金など普遍的なものになった
  過保護の中で自分の望み通りにならないと子供を貶めてしまい、子供の主体性、能力が低くなる≒信じる力が低くなる
 現実と向き合う努力をせず、社会に与えられた自我欲望に奉仕することが主になった
  主体性、能力が低いので怯えて現実と向き合うことが出来なくなる
そしてそれが世代間で繰り返される
⇒自ら自我欲望を見つけて現実的な努力をすれば良い
その上で家族を自我欲望にして努力しようと思うならそれも良い
しかし社会に与えられた自我欲望に奉仕する形で無責任にその道を選ぶと世代間で悲しいことが繰り返される


社会ではスキを見せない

「いろいろな人に関わっていても揉めない秘訣ってなんですか?」と聞かれることが多い。答えは簡単で「1つ1つ確認を取る」こと。これぐらいいいだろうとか自分だったら許してもらえるだろうという傲慢さがトラブルを生む。のびのび過ごせるのは自分の家だけ。あとは余所者だという自覚を持ちましょう



信用しないと決意することでもし信用関係があれば幸福という幻想を守ってるんじゃないか

実世界ではそれに関係なく優しい、信用できる人はいるし幻想通り信用出来ない人もいる

あるものの価値を、何らかの存在とその価値を信じているわたしの関係と捉えたときに、現実主義者の中では「わたしが信じる」という主体性の比重が失われる。しかし現実主義者は、自分が「信じていない」ことに無自覚であるために、対象が自分にとって価値のないものと感じられることをそのまま「対象には価値がない」と誤認する。これによって現実主義者は、自分では何にも価値を感じることができず、他人の所有物やそれに対する愛着に羨望が向くことになる。



自分のことを信用できない人は他人のことも信用できない。人は裏切るもの、たくらむものだと思ってしまう。他人の中に見るのは自分の姿

共同幻想、現実として認識するのは自分の解釈しだい

自分の主体性、つまり他者に何をして、どう関わろうとしているのかを見失い、他者に幻滅し、関わりを絶とうとしている人物の関係性は図のBのように変化する。他者に期待できなくなったわたしは、もはや自発的に他者に干渉することを諦める。そうすると他者はわたしを置き去りにし、わたしはますます忘れられ、透明人間のような存在になってゆく。無気力や無感動はこのように、わたしが他者(世界)と関わる主体性を失い、それによって他者(世界)もわたしとの関係を失うという双方向的な影響によって加速する。

他者や世界に対する諦観が極度に高まったこの人は、もはやわたしがどのような接触を試みても他者はわたしを拒否するだろうという絶望的な予感に覆われる。世界と断絶されてひとりきりになり、わたしなしで回転し続ける世界から取り残されてしまう。

一方で、誰かを信頼できる人は、相手が裏切ることなどまったく考えもしないような態度でいるので、その相手も自然に信頼に答えようとし、誠意のある態度を取るかもしれない。この人もまた、自分が影響を与えていることには気付かない。

親は人、子供を信用出来なかったんだな

だから過干渉だったりネグレクトだったんだ



現在の自分を肯定的に捉えられれば過去を許すことができる

肯定出来ないと過去のトラウマなどの理由づけが必要になる



不安について

不安感強いのでストレスに弱い

人に対する根源的な恐怖 積み重ねた抑圧、否定、生きていることへの罪悪感(周りからのお前は邪魔、生きてはいけない⇒親が弱くあって欲しかったことによる後遺症)

人生の問題を大きく考えてしまう(死を考えすぎてしまい大きな不安に耐えきれない)ことで目の前の小さな問題が意識に入らなくなる

自分で価値判断が出来なくなっている

先のことはどうしようもないので今のことだけ考える

これが「些事の逆説」である。私たちがいちど大問題に拘うと、些事は無意味な問題に成り下がり、些事の積み重ねはかえって大問題となって跳ね返ってくる。


人生の負債について

結局負債に向き合うことが現実に向き合うことの逃避先になってる感覚がある

育ちから「ダメな自分だから生きて良い」と密接に自我に結びついているため幸せだと落ち着かず、自ら不幸になろうとする

幸せになることを考えるより不幸になるのが簡単であることもある

ダメな自分を変えることへのサンクコストがある 負債と割り切って損切りする必要がある

間違った決断にメリットを見出そうとして時間、労力を消費してどんどん負債が貯まること

反復強迫: 不安を繰り返すことで自分はダメだと間違ってなかったと証明しようとすること

先延ばし癖のある人間には[* 「嫌なタスクへの着手が難しい」(育ちが死に近かったため、不安感が強くストレスに弱いのでこなせる自信がない、傷つくことが怖い)]タイプと、[* 「何か気なるタスクがあるとそれを終えるまで何も手につかなくなる」(完璧主義からの不安感で気になってしまう)]タイプの2種類いるんだけど、その2つが合わさると「嫌なタスクを先延ばしにするも、それが頭に引っ掛かり続けて永遠に何も出来なくなる」生物が誕生する

嫌なタスクを死や老後などデカいものにしてしまうと最悪

人生レベルで負債が積み重なる



対人について

過去のトラウマを未だに認められなくて自分を攻撃する

過去の存在否定した相手に攻撃するためにコミュ障だったり、白痴だったりその理由と思われることを攻撃する

相手はもういないから自分の中に取り込んだ仮想に攻撃する、恨んでいる

出来ない自分を卑下するのもこれ

⇒コミュ障、出来ないことを許容すれば良い

願望、抑圧を投影して相手を攻撃する

押し付けられた願望、本当の願望への抑圧を認められなくて攻撃するために他者に転嫁している

無条件の愛情で自分、相手の不完全さを許容してあげることが大事

メンヘラには弱い人間を求めている人しか近づいてこない

[* 弱さを見せて防衛する弱いコミュニケーションしかできない、弱みを見せても弱い人間を求めている人しか近づいてこない]

弱く見せても舐められるだけ

上辺のコミュニケーションしかしてこなかったんだろうな

親が上辺のコミュニケーションを求めていたから

幼い頃に信用を裏切られたことが元となり裏切り続けられたことで傷が深くなってしまい防衛のため上辺だけで信用しようとしない

相手から信用出来る部分を見せられると気持ち悪くなる≒裏切られるとどこか安心する

信用されると裏切れない、信用すると裏切られる恐怖が出来る

気遣いをサボれるというメリットがある

共感力の欠如、他者への興味の低下に繋がった



人は常になぜ生きているのかという存在不安を抱えており、それを克服しようとする≒死が怖い≒死を理性が克服しようとしている

過去のトラウマだったり、物欲、他者承認で克服しようとする

なにかを特別にして支えにしてる

不安が大きい人は大きな支えが必要になる

足りない部分は非現実な妄想で補う必要がある

不安を小さくして日々の達成で満足し続けることが健全



ダメな自分を変えることへのサンクコストがある 負債と割り切って損切りする必要がある

反復強迫: 不安を繰り返すことで自分はダメだと間違ってなかったと証明しようとすること

以前にあった関係の印象が他の対象に投影される現象を転移と言う。親に依存している幼児にとって、親が機嫌をそこね、わたしを愛さなくなるということはそのまま生命の危機を意味している。そこでどうにか保護者の気を取り繕って生き残らなければならない、という危機管理マニュアルが生成される。そのマニュアルは一種の条件反射のように無意識下で管理されていて、容易に自覚することができない。



親は過干渉(弱くあることを求められた)だったり、過保護(親が傷つくことを恐れて制限、役割を奪われる)、自分勝手に振り回されたり、ネグレクトされたため、他人が信用できなくなってしまった

虚無って自分の意思を持てなくなった伝えられなくなった(ネグレクト、内部外部の分裂に繋がる因子)

自尊心を傷つけられることを否定出来なくなった(自分が信用出来なくなる)

死への意識が強くなり(対人)不安感が強くなってしまった≒能力が低い(自発的に人と関わろうとしない)

親は他者との関わりの中で上記の事象がどんどん強くなっていった(反復強迫

子供にも反復強迫≒サンクコストによる失敗の再現、内部の幼稚な部分の暴走により同じことをした

結果負の連鎖に繋がる



子供の頃に気遣ってもらえなかったことから生まれた寂しさ、プライドを捨てて人に優しくする、与える



「好かれたい」「誤解されたくない」と思ってする行動はつまるところ私欲。嫌われたままでいいし、誤解されたままでいい。極論、気付かれないままでいい。下心は見抜かれる



対人について

過去のトラウマを未だに認められなくて自分を攻撃する

過去の存在否定した相手に攻撃するためにコミュ障だったり、白痴だったりその理由と思われることを攻撃する

相手はもういないから自分の中に取り込んだ仮想に攻撃する、恨んでいる

出来ない自分を卑下するのもこれ

⇒コミュ障、出来ないことを許容すれば良い

願望、抑圧を投影して相手を攻撃する

押し付けられた願望、本当の願望への抑圧を認められなくて攻撃するために他者に転嫁している

無条件の愛情で自分、相手の不完全さを許容してあげることが大事



人は仲間と思えない人には冷酷である



現存在とは個としての人間のこと

人は様々なことで関係性を求められておりそれに応対することが本来性の生き方

自分は反復強迫により人間関係の応対に答えられていない



カスが平気で生きてるので悩む必要なんてないでしょ



(過去が)一個なくなったら今じゃないから

歪な過去があるから音楽が出来るって部分もあるんだよなー



理性の自分が他者に媚びて自分をイジメるのを止める

唯一の味方がイジメてどうする



気が乗らなくてもなんかすることが鬱防止